Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
1/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
目次
はじめに.......................................................................2
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 1....................................................3
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 2....................................................7
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 3...................................................11
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 4...................................................15
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 5...................................................19
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 6...................................................22
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 7...................................................27
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 8...................................................29
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 9...................................................33
出典..........................................................................37
関連リンク....................................................................37
はじめに
この文書はDead Or AliveとともにNukleopatraを製作したBarry Stone氏のポッドキャストのボーナスコンテンツ
を文字起こしし、和訳したものです。
ポッドキャストの製作とこの文書の配布許可をくださったBarry氏にこの場にて感謝申し上げます。
2/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 1
Barry Stone:
皆さん、こんにちは。メーリングリストへの登録ありがとうございます。そして「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。
ここでは、メインのエピソードに入りきらなかったボーナスコンテンツを公開していきます。毎週エピソードが配信された後に、
そのエピソードに収まりきらなかった断片をまとめた新しいファイルを追加していく予定ですので、毎週チェックしてみてくださ
い。
まずは最初の一つとして、時々受けるこの質問への答えから始めたいと思います。「なぜ『バイキング(Viking)』のバリー・
ストーンなの?」
この話を共有すれば、なぜこれをボーナスコンテンツにしたのか分かっていただけると思います。ここにいる皆さんは、デッド・
オア・アライヴ・ファミリーの真の一員でしょうから、この話を打ち明けても構わないでしょう。では、始めます。
今は2025年ですが、私はとても幸せな結婚生活を送っています。もう何十年も、心から愛する夫と一緒にいます。しか
し、1994年当時、私はまだ自分の方向性を模索している最中でした。
ピートやスティーヴとアルバムを作っていた頃、私は当時のガールフレンド、ルーシーと一緒にいました。私たちは当時とても
愛し合っていましたし、私がピート、リン、スティーヴと親しくなるにつれ、彼らも私とルーシーのことを知るようになりました。
私たちの家で夕食を共にしたり、彼らの家で夕食を食べたり。ピート、リン、スティーヴの3人とも、ルーシーのことをとても
気に入っているのが分かりました。彼女はとても楽しい人でしたから。
デッド・オア・アライヴの家で過ごしたある夜のことです。かなりの量のお酒が入っていて、みんなで歌を歌ったりしていたかも
しれません。とにかく、私たちは皆とても陽気で、彼らもルーシーとの会話を楽しんでいました。その会話の流れで、ルー
シーがみんなにこう言ったんです。「バリーは寝室ではバイキング(北欧の海賊)みたいなのよ」って。
ホストである彼らがこれをどれほど面白いと思ったか、想像がつくでしょう。特にピートです。彼は私がふさわしいパートナー
と一緒にいないことを、かなり露骨に感じていたようでしたから。
ピートがどれほど鋭い人だったか知っているでしょう? まあ、当時の多くの人が私の「方向性」に疑問を持っていたでしょう
し、ガリガリに痩せた小さなバリーが「寝室のバイキング」だなんていう考えは、それから数週間にわたって彼らを爆笑の渦
に叩き込みました。
それ以来、彼らは時々そのことに触れるようになり、アルバムのクレジットにそれが載った時は、ちょっとした内輪ネタ(インサ
イド・ジョーク)になりました。もちろん私はその面白い側面を理解していましたし、彼らがこのアルバムで私にくれた素晴ら
しいクレジットには、ただただ圧倒されました。
もしこれがすべて私の作り話なんじゃないかと疑うことがあっても(時々自分でもそう思うことがありますが)、白黒はっきりし
たあのクレジットを見れば、実際に私が彼らとあのような経験をしたんだということを思い出させてくれます。それは本当に
素晴らしい出来事でした。
以上が、私の「バイキング・ストーリー」の全貌です。
3/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
次に、リンとの対談の中から、ピートとリンのニューヨーク愛について語った部分をお届けします。
それから、デヴィッド・ハウェルズのインタビューも。ピートとスティーヴと一緒に仕事をしたこと、そしてスティーヴがいかに「ハス
ラー(やり手)」であったかについて語ってくれます。
また、デヴィッドが友人ジョンについて話してくれた面白いエピソードもあります。ジョンは大のピート・ファンだったのですが、
デヴィッドがピートやスティーヴと知り合いだとは全く知らなかったんです。その話は私を笑顔にしてくれたので、ぜひ含めた
いと思いました。
各エピソードの後に、もっと多くのクリップをアップしていきますので、また後でチェックしてみてください。それでは、今回はこの
辺で。
(転換)
Barry Stone:
ジェイソン(・バロン)が言っていたんですが、ニューヨークは当時、あなたにとって一番のお気に入りの場所だったそうですね。
Lynne Burns:
ええ、そうね。よく行っていたわ。ただ楽しむためだけに、休暇で行ったりもしていたわ。
Barry Stone:
かなり頻繁に行っていたんですか?
Lynne Burns:
ええ、かなり行っていたわ。どこに行っていたか覚えている?
Lynne Burns:
「Jackie 60」「Life」「Bardo」「Joey and Raven」……
。
Barry Stone:
私がニューヨークに行った時のことを覚えています。それまで一度も行ったことがなかったんですが、ピートが「ここに行かな
きゃダメだ、Bardoに行け、Jackie 60に行け」って言って。そこでジェーン・カウンティに会いました。
Lynne Burns:
ええ、彼女がJackie 60かどこかでDJをしていたのよね。
Barry Stone:
最高の週末でした。3、4日間の短い滞在でしたが。私の友人マーク……マーク・マッシブを覚えていますか?
Lynne Burns:
ああ、マーク・マッシブ! ええ、もちろん覚えているわ。
Barry Stone:
彼と一緒に行ったんです。お金なんて全くなくて、とにかく飛行機代だけ工面して、誰かの家の床で寝泊まりして。でもあ
の4日間は、本当に素晴らしかったです。クエンティン・クリスプとランチをしたり。
4/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Lynne Burns:
ああ、思い出したわ! あなたが話してくれたのよね、なんて素晴らしいんだろうって。彼は誰とでもランチに行ってくれたのよ
ね、それが彼のスタイルだったから。
Barry Stone:
彼に手紙を書いて、返事をもらったりもしました。
Lynne Burns:
あら。
Barry Stone:
純粋な時代でしたね。
Lynne Burns:
ええ。私たちはかなりクレイジーだったから「純粋」とは言えないかもしれないけれど、楽しかったわ。ニューヨークではたくさん
笑ったわね。90年代後半には、実際に引っ越そうとしたこともあったのよ。
家を売って、10番街かどこかにあるブラウンストーン(※ニューヨーク特有の赤褐色の砂岩でできた家)を見つけて。
内見にも行って、「よし、これをやろう、引っ越そう」って思っていたんだけど。でも、何かが「これはやっちゃダメだ」って私の心
に囁いたの。それで結局、やめることにしたの。
Barry Stone:
後悔していますか?
Lynne Burns:
大きな決断だったわね。でも、ニューヨークは間違いなく、ピートが生き生きと輝ける場所だったわ。
Barry Stone:
ロンドンと似ているけれど、ニューヨークの方がもっと身近に感じられるというか。
Lynne Burns:
それに、パフォーマンス・アートに携わっているなら、そこにはコミュニティがあるでしょう? ステータス(地位)なんて関係ない
場所。Aリスト(超有名人)だからとか、リストに載っていないからとか、そういうことじゃない。ロンドンよりも、もっと「コミュニ
ティ」としての結びつきが強かったわ。
(転換)
David Howells:
私にとって、ピートとスティーヴと一緒に働くのは喜びでした。スティーヴ・コイは、本物のハスラー(やり手)でした。
あらゆる手段を尽くしていました。スタジオには良いプロモーション担当もいましたし、良いチームもいましたが、彼はすべて
を偶然に任せるようなことはしませんでした。彼は自ら外へ出て行き、多くの人々と会い、人間関係を築いていました。
5/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
彼はミュージシャンであると同時に、本物の「レコード・マン」でした。ミュージシャンの中には、レコードがどうやって売られ、ど
うやって出荷され、どうやってラジオでかけられ、なぜ人々がそれを買おうと思うのか、といった現実の世界から完全に切り
離されている人も多いですが、彼は違いました。
スティーヴは、一緒にいて本当に素晴らしい男でした。
ところがある日、どういうわけか会話の中でピート・バーンズの名前が出たんです。
私は「ああ、ピートのことか。彼は今PWLにいるよ」と言いました。すると彼は「ピート・バーンズを知ってるのか?」と驚いて。
私は「ああ、ジョン、知ってるよ」と答えました。彼は「実は、彼らが今夜か明日の夜、ギグ(ライブ)をやるんだ」と言いました。
私は「もしよければ、一緒に行くかい? 私も行くつもりだから」と誘いました。
そして、一緒に行きました。ライブの後、「バックステージに行って、彼らに挨拶しよう」と言ったら、彼は有頂天(ビサイド・ヒ
ムセルフ)になっていましたよ。
彼はただただ、信じられないという様子でした。もちろん、ピートがやってきて、私の両方の頬にキスをして、ハグをしました。
彼は私を見てこう言いました。「すまない、理解が追いつかない(コンピュートできない)よ。君がどうして……」。
Barry Stone:
(笑)
David Howells:
人生には、時々こういう面白いことが起こるものですよね。
Barry Stone:
いい話ですね。これはぜひ本編に入れたいと思います。
6/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 2
Barry Stone:
「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。皆さん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
皆さんはどうかわかりませんが、最近のDead or Aliveの世界は、いろいろなことが起きていて賑やかなようです。私の手
元にもポール・コックスの本が届きました。まだ中を詳しく見る時間は取れていないのですが、そこにある、ということは確認
しました。YouTubeで他の人たちが開封(アンボクシング)している動画をいくつか見ましたが、自分のはまだ開けていませ
ん。
温かい紅茶を淹れて、じっくりと腰を落ち着けて、最初から最後までちゃんと目を通せる、そんな最高の瞬間が来るのを
待っているんです。まだそのタイミングは見つかっていませんが、近いうちに必ず。
それから今日、TikTokで、これまでに見たことのない『Something in My House』のアウトテイク映像を誰かがアップしてい
るのに気づきました。AI(人工知能)による加工ではないと思います。おそらく、これを聴いているDead or Aliveファンのど
なたかがアップしてくれたのでしょうね。もしそうなら、ぜひ連絡をください。あのビデオの残りはどこにあるのか、教えてほしい
んです。本当に素晴らしかったです。
さて、今回のボーナスコンテンツでも、引き続き「スタジオ」をテーマにオタクな話をしていきましょう。スタジオの機材やキー
ボードなどに興味がある方なら、ぴったりの内容ですよ。アルバムのレコーディングで使用したコンピューターやキーボード、
スタジオのセットアップについて少しお話しします。
アルバムの中で最も多く使われているサウンドの一つが、あの特徴的な「オルガン」の音です。実質的にすべてのトラックに
入っていますね。90年代、オルガンのサウンドは絶大な人気を誇っていました。フェリックスの『Don't You Want Me』や、
ハダウェイの『What is Love』など。当時のダンス・ジャンルの巨大なヒット曲のほとんどで使われていました。
悲しいことに、あの音を実際にどのシンセから出したのか、どうしても思い出せないんです。キーボードではなく、シンセ・モ
ジュールだったと確信しています。おそらく、Roland U-220だったのではないかと思います。
当時使っていた他のシンセで覚えているのは、Yamaha DX7、E-mu Proteus、JP-8000、Oberheim Matrix 1000、
Roland JV-1080、Roland 303などです。ドラムに関しては、PWLにはRoland 909がありましたが、ビルの中で皆が共
有していたディスクに保存されているサンプルを使うことも多かったです。
サンプルはAkai S1100に通していました。すべてはAtari 1040コンピューター上で、Cubaseというソフトウェアを使ってプ
ログラミングしていました。そして私たちのアレンジをCubase経由で流し、シンセ・モジュールやAkaiサンプラーを鳴らして、
それらをすべてTrident Series 80Bというデスク(ミキサー)に立ち上げていました。
そうやってライブ形式で流しながら、納得がいくまで構造やアレンジをいじり回していました。そして準備ができたら、シンセ
とドラムをテープに流し込みました。それは2インチの24トラックStuderという録音機でした。
一度それらのパートをテープに録音してしまえば、シンセが空くので、その上にさらに別の音を重ねて鳴らすことができまし
た。すでにテープに録音されている音と一緒に、ライブで新しい音を鳴らすわけです。だから、かなりの量の音楽を同時に
走らせる能力がありました。
ボーカルを録音するために、常にテープの何トラックかは空けておきました。ボーカルのレコーディングと編集(コンパイル)が
終わると、すべてのシンセとサンプルもテープに録音されました。
7/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
そして、すべてに満足できたら、それらを上の階のレス(・シャルマ)のところへ持っていきました。レスは、私の2インチテープ
の24トラックを、彼のデジタル・ハーフインチ・テープに転送(トランスファー)し、そこからミキシングのプロセスが始まりました。
エピソード2でもレスがミキシングについて詳しく話してくれましたが、シリーズの後半ではミキシングのもう一つの側面、「リ
コール(呼び出し)」についても話す予定です。私たちはリコールを山のようにやりましたからね。
ピートとスティーヴが自宅でトラックを聴き込む時間をたっぷり持っていましたし、このアルバムは1994年の何ヶ月にもわ
たってレコーディングされましたから。1994年の終わり頃には、ピートとスティーヴが以前のミックスについて変更したい点を
見つけて、結局ほとんどのトラックをもう一度呼び出してリコールしたのではないかと思います。それについては、今後のエピ
ソードで詳しくお話ししますので、お楽しみに。
本編のエピソードでは、リン(・バーンズ)から『Rebel Rebel』のビデオ撮影について聞きました。このボーナスでは、リンが過
去にビデオを作った時のことや、かつてデッド・オア・アライヴのビデオのほとんどを監督していたヴォーン&アンシア(ヴォーン・
アーネルとアンシア・ベントン)と一緒に仕事をした時の話をしてくれます。『Spin Me』以降のビデオをほぼすべて手がけて
いた二人です。特にリンは、彼らが手がけた『Brand New Lover』のビデオについて少し語ってくれます。
その後に、レスからまた別の話をお届けします。レスがピート、スティーヴ、リンと一緒にスコットランドへ行き、彼らが
『Nukleopatra』時代の非常に初期のPA(ライブパフォーマンス)を行っていた際、彼らをサポートした時のエピソードです。
お別れする前に。もし、このボーナス・エピソードで私に話してほしい特定のトピックなどがあれば、ぜひメッセージをください。
今後のボーナス回の参考にさせていただきます。
ポッドキャストを楽しんでいただけているなら幸いです。それでは、また次回お会いしましょう。リンとレスの話の続きをどうぞ。
バイバイ!
(転換)
Lynne Burns:
昔は、彼らがイラスト付きのストーリーボード(絵コンテ)を作ってくれていたわよね。ビデオのコンセプトを彼らが持っていて、
それを私たちに送ってくれるの。
Barry Stone:
監督が、ですね。
Lynne Burns:
ええ。ザナ(※Rebel Rebelの監督)の前は、いつもヴォーン&アンシアだったわ。ヴォーン・アーネルとアンシア・ベントン。
彼らが打ち合わせにやってきて、みんなで協力しながら話し合うの。ピートが同意するかどうかは別として(笑)。
大抵、服は自分たちで調達していたわ。でも『Brand New Lover』は……あの、牛の囲い(コーラル)の中にいるやつね。
Barry Stone:
ええ。
Lynne Burns:
あのビデオでは、彼女(アンシア)が服を持ってきてくれたわ。
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Barry Stone:
彼女が、ですか?
Lynne Burns:
アンシアよ。あ、そうそう、アンシアが「ウエスタン(西部劇)」というテーマのアイデアを持っていたの。それで彼女が服を調達
してきたのよ。
Barry Stone:
へえ、そうだったんですね。
Lynne Burns:
ええ。でもその時も、ピートが別の案を出して揉めた記憶があるわ。でも結局、うまくいったわよね。彼らの最高のビデオの
一つになったわ。でも、バンドとしてのルックスをまとめるのは大変よ。4人もメンバーがいるんだから。
Barry Stone:
それは大変そうですね。
Lynne Burns:
大変よ。特にあとの二人が、あまり着飾ることに興味がない場合はね(笑)。ティム(・レヴェンシクロフト)の場合は、彼は
髪が薄かったから、常に何らかの帽子を被らされていたわね(笑)。
Barry Stone:
今その話をされて思い出したんですが、『Brand New Lover』のビデオでマイク(・パーシー)は帽子を被っていませんでした
よね? 被っていたのは一人だけだったような。
Lynne Burns:
スティーヴが帽子を被っていたわ。あとの二人も被っていたかもしれないけれど……でも、マイクの帽子は、スティーヴのほ
どかっこよく決まっていなかったわね。間違いなくそうよ(笑)。
Barry Stone:
(笑)
Lynne Burns:
楽しかったわ、あのビデオの撮影は。
(転換)
Les Sharma:
スコットランドへ行ったのを覚えていますよ。グラスゴーだったかな。
Barry Stone:
何か覚えていることはありますか?
Les Sharma:
ええ。すべては、私がアルバムの制作に関わっていたからこそ実現したことだと思います。ピートとスティーヴは私のことを信
9/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
頼してくれていました。彼らは特定の人々を信頼します。例えば、バリー、君のプロダクションを信頼していたように。そして
彼らは、ミキシングやそういった要素に関して私のことも信頼してくれていました。
彼らは、自分たちと一緒にいて「安心できる(セーフ・ハンド)」人物を求めていたんだと思います。正しいミックスが再生さ
れるように。
ピートはこれらのクラブでライブ用のマイクを持って歌っていたんですが、ボーカルをしっかり大きく、コンプレッサーをかけて、
いい音で響かせる必要がありました。だから私は、何というか……
。
とにかく、それらのクラブに私が現れると、DJや音響担当の人は私を見て「なんだこいつ? なんでここにいるんだ?」という
顔をしていましたね(笑)。
Barry Stone:
(笑)でも、それによってスティーヴの肩の荷が一つ降りたわけですよね。彼には他にやるべきことがたくさんありましたから、
あなたがそこにいてくれるのは本当に助かったはずです。
Les Sharma:
ええ、本当に。
Barry Stone:
それは何度もあったんですか?
Les Sharma:
正確には覚えていませんが、似たようなギグがグラスゴーやスコットランド周辺で2、3回あったと思います。私たちはそこへ
飛んでいきました。私が彼らと一緒に飛んだのか、彼らが先にいたのかは忘れましたが。
素敵なホテルに泊まって、すべてが……ご存知の通り、典型的なDead or Aliveのセットアップでした。一切の出し惜し
みなし。私は何の心配もいりませんでした。すべてが私のために整えられていましたから。
リンも来ていて、すべてが本当に素敵でした。彼らはただ、私がそこにいて監督(オーバーシー)してくれることを望んでいた
んです。
というのも、ナイトクラブに入って、そこにDJがいて、音響担当がいる。彼らは私よりも自分たちのセットアップのことをよく
知っています。だから、彼らが実際に音を鳴らすわけです。
彼らは「何をかけるんだ?」と聞く。私は「これがCDだ。トラック2をかけるんだ」と指示する。それから「ピートはライブのマ
イクを使うのか、それとも口パク(マイミング)か?」と聞かれるので、「ライブ・マイクだ、云々かんぬん……」と答える。
私はDJと一緒にDJブースにいて、全体を監督しました。ピートはダンスフロアの真ん中でPAを行いました。みんなが彼
の周りで踊っていて、彼は文字通り、そのトラックを「叫ぶように」歌っていました。
みんな本当に楽しんでいましたよ。ええ、素晴らしいプロセスでしたし、デッド・オア・アライヴと一緒に旅をしたあの素敵な
思い出は、一生忘れません。
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NUKLEOPATRAS TOMB Episode 3
Barry Stone:
皆さんこんにちは。エピソード3のボーナス・ビットへようこそ。私と同じように、トレイシー(・アッカーマン)の話を楽しんでい
ただけたなら幸いです。もし楽しんでいただけたなら、今回のボーナスもきっと喜んでいただけるはずです。私たちの対談の
続きをここでお届けします。
本編のエピソードではお話ししませんでしたが、私が10代の頃、アイルランドの寝室でポップミュージックに夢中になり、レ
コードのスリーブ(ジャケット)を隅々まで眺めては、大好きなレコードを作っている素晴らしい人たちについての情報を何で
も吸収しようとしていた時期がありました。その頃、私はトレイシー・アッカーマンというシンガーの存在を認識したのを覚え
ています。
それは1985年にリリースされた、ミラージュ(Mirage)の「Into the Groove Medley」という、トレイシー・アッカーマンをフィー
チャーしたレコードを通じてでした。
私がDead or Aliveに恋をして、寝室で彼らのレコードを聴きまくっていたのと同じ年に、トレイシーの存在も知ることに
なったというのは、何とも不思議な縁です。そして今、これほど長い年月を経て、私たちはピートやスティーヴについて語り
合っています。面白い世界だと思いませんか?
もしこのボーナス・ビットで私に話してほしいことがあれば、ぜひメッセージをくださいね。さて、トレイシーとの対談の続きをお
送りします。彼女のルーツ(影響を受けたもの)や、どのようにして音楽業界でのキャリアをスタートさせたのかについて、私
から質問したところから始まります。
それでは、今回はこれで。また次回お会いしましょう。
(転換)
Barry Stone:
これまで、あなたが憧れてきたり、歌のスタイルに影響を与えたりしたシンガーはいますか?
Tracy Ackerman:
ええ、たくさんいます! 若い頃、私は他のアーティストの「物まね(インパーソネーション)」をすることで育ったようなものなん
です。そうやって自分のスキルを磨いていきました。歌のレッスンを受けたこともなければ、楽譜の読み書きを学んだこともあ
りません。ただただ、物まねをして育ったんです。
私の父はシンガーでした。私が子供の頃、彼はBBCで自分の番組を持っていました。
Barry Stone:
へえ!
Tracy Ackerman:
彼はとても深みのある(太い)声をしていました。だから私は、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、シャカ・カー
ン……当時の素晴らしいシンガーたちを皆追いかけていました。
そしてオリータ・アダムスやアニータ・ベイカーが登場した時、私は「ああ、あのトーン(音色)が大好き、素敵だわ」と思って、
彼女たちのように歌い始めました。正直に言って、ありとあらゆるシンガーから影響を受けてきました。他の人の声に何か
11/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
素晴らしいものを見つけると、例えばホイットニー・ヒューストンなら「彼女のあの歌い方が大好き、最高だわ」と思って、セッ
ションの時にそれを自分でもやってみるんです。アドリブなどでね。それを自分のすべてのセッションで活用していました。
Barry Stone:
なるほど。
Tracy Ackerman:
それは曲を書く時にも役立ちました。20代の後半から作曲を始めたんですが、
Barry Stone:
ええ。
Tracy Ackerman:
頭の中にいろいろな声がある状態なんです。レコード会社の人から「ティナ・ターナーのために曲を書いてほしい」と言われ
た時、頭の中にティナ・ターナーの声があれば、彼女の声に合うようなメロディを書くことができます。
Barry Stone:
それはすごい。
Tracy Ackerman:
だから、他のアーティストのために曲を書くのは、私にとってはかなり簡単なことでした。「ああ、なるほど。彼女ならこう歌う
わね」とか「セリーヌ(・ディオン)ならこうするわ」と考えて書くことができましたから。
曲を書いて彼らに送ると、彼らはそれを採用してくれました。デモの段階で、すでにそのアーティストが歌っているようなサウ
ンドになっていたから、彼らもイメージしやすかったんでしょうね。
Barry Stone:
あなたがデモを歌うことで、完成形が提示されていたわけですね。まさに彼らのようなサウンドで。それは素晴らしい。
Tracy Ackerman:
ええ、本当に。私は本当に多くの人から影響を受けてきました。
Barry Stone:
私は、あなたが参加したあるレコードを知っているんですが……何年だったか、おそらく80年代の終わり頃だったと思いま
すが、マドンナの「メガミックス」がありましたよね。
Tracy Ackerman:
ああ、ありましたね!(笑)
Barry Stone:
あれは、あなたのかなり初期の仕事の一つですか?
Tracy Ackerman:
ええ、私はまだ本当に若かったです。懐かしいわ。
12/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Barry Stone:
実は私、アイルランドからロンドンに移住する前、まさにあなたが先ほど言ったように、Dead or Aliveに夢中になっていたあ
の寝室で、あのレコードを聴いていたのを覚えているんですよ。
Tracy Ackerman:
まあ!
Barry Stone:
だから、今日ここでDead or Aliveについて話しているのは、本当に不思議な感じがします。
Tracy Ackerman:
人生って、時々そういう風に繋がるものなのよね。面白いわ。その話、今まで一度も聞いたことがなかったわね。
Barry Stone:
「Into the Groove Medley」でしたっけ?
Tracy Ackerman:
そうです、「Into the Groove」です。
Barry Stone:
ええ。当時、「メガミックス」や「メドレー」という言葉が入っているレコードなら、私は何でも飛びついていましたから。
Tracy Ackerman:
(笑)そうだったのね。私がロンドンに出てきたばかりの頃、まだ16歳か17歳くらいだったと思いますが、あるプロデューサー
に誘われて、エニグマ(Enigma)というユニット名で「Ain't No Stopping」というレコードを作ったんです。それが、当時のヒッ
ト曲を繋げたメドレーでした。
それが、なんと3週間もしないうちに『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出ることになったんです!
Barry Stone:
わあ!
Tracy Ackerman:
信じられない体験でした。出身地のブリストルの小さなパブ(ポクシーなナイトクラブ)で歌っていた私が、いきなり『トップ・
オブ・ザ・ポップス』ですよ。
ある夜、パブにいたら、テレビで『トップ・オブ・ザ・ポップス』が流れていて、私が画面に映っていたんです。周りの人たちがみ
んなテレビを指差して、「おい、見ろよ! テレビにトレイシーが出てるぞ!」って大騒ぎになって。
Barry Stone:
「オー・マイ・ゴッド」ですね。16歳で?
Tracy Ackerman:
した。
たぶん、17歳になったばかりの頃だったと思います。本当にすごかったです。それからロンドンへ移住して、すべてが始まりま
13/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Barry Stone:
信じられないような話ですね。
Tracy Ackerman:
ええ。本当にクレイジーですよね。
Barry Stone:
でも、今日は本当に長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。あなたの思い出話を聞けて、本当に素晴ら
しい時間でした。
Tracy Ackerman:
こちらこそ、本当にありがとうございました。お話しできて楽しかったです。
Barry Stone:
今夜は、このアルバムの30周年を祝して、祝杯を挙げなければなりませんね。
Tracy Ackerman:
ええ、間違いなく。
Barry Stone:
トレイシー、あなたが今どこのヨットの上にいようとも(笑)、ぜひグラスを掲げてください。
Tracy Ackerman:
(笑)今はバーに座って、プロセッコの小さなグラスを手にしていますよ。心配しないで、ちゃんとやりますから!
Barry Stone:
最高です。本当にありがとうございました。
Tracy Ackerman:
どういたしまして。あなたとお話しできて本当に良かったです。
Barry Stone:
気をつけてね、トレイシー。バイバイ。
Tracy Ackerman:
またね。バイバイ!
14/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 4
Barry Stone :
皆さん、こんにちは。「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。エピソード4はお楽しみいただけましたか? ディーン(・ブライト)
は素晴らしいゲストでしたよね。彼との対談は本当に楽しかったです。本編のエピソードでも言いましたが、ディーンの話は
シリーズの後半でまたたっぷりお届けする予定です。
これまでのエピソードで、ボーナス・エピソードで話してほしいトピックがあれば提案してくださいと言い続けてきましたが、あり
がたいことに提案をいただきました! ネタ切れになりそうだったので助かりました(笑)。トーマスさん、素敵なメッセージをあ
りがとうございます。ポッドキャストを楽しんでいただけているようで嬉しいです。
トーマスさんは、90年代後半に私たちがバンドと一緒に制作した3つのカバー曲について話してほしいとのことでした。プリ
ンスの「Pop Life」、U2の「Even Better Than the Real Thing」、そしてマドンナの「Why Is It So Hard」です。というわけ
で、今回はそのお話をします。私一人ではなく、ジュリアン(・ギンジェル)にも参加してもらい、彼の思い出も語ってもらおう
と思います。
トーマスさんからはもう一つ質問がありました。「Dead or Aliveがマドンナの『Secret』をカバーするという噂がありましたが、
後に『Why Is It So Hard』がリリースされました。最初に選ばれたのは『Secret』だったのでしょうか? また、レコーディング
は行われたのですか?」とのこと。
トーマスさん、少なくとも私たちと一緒にレコーディングはしていません。バンドが他で録音したという話も聞いたことがありま
せんね。ピートがどうやって曲を選んだかは正確には思い出せませんが、これから流すジュリアンとの会話の中でそのことに
も触れています。私たちが依頼されたのは、結局のところあの3曲だけでした。でも、制作は本当に楽しかったです。
それでは、ジュールス(ジュリアン)との対談をお聞きください。また次回お会いしましょう。楽しんで!
(転換)
Barry Stone:
か?
デッド・オア・アライヴがこれら3曲を再録音したがっていると初めて聞いた時、あるいは噂を耳にした時、何を覚えています
Julian Gingell:
どうだったかな。3曲まとめて一気にやったんでしたっけ?
Barry Stone:
大体そんな感じでしたね。2曲をモロコ(Moloco Studios)でやって、1曲をメトリックス(Matrix Studios)でやったと思いま
す。メトリックスはそれまで使ったことがありませんでしたが、モロコが空いていなかったんでしょうね。最初は3曲ともモロコで
始めて、3曲目のミックスのためにメトリックスへ移動したんだと思います。「Even Better Than the Real Thing」だったか
な……いや、やっぱり「Pop Life」だった気がします。というのも、「Pop Life」の最後に「ポップ!」という音を入れたんです
が、メトリックスでAMS(サンプラー)を使ってそのピッチを上げたのを鮮明に覚えているんです。だからメトリックスでミックスし
たのは「Pop Life」ですね。
Julian Gingell:
トラックの制作過程についてはあまり記憶がないんですが、とにかく彼(ピート)に初めて会った時のことはよく覚えています。
15/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
それまで会ったことがありませんでしたから。彼はあなた(ジュールス)のことをかなり気に入っていましたよね(笑)。ピアノの
周りで追いかけっこをしていたのを覚えています。
Julian Gingell:
(笑)あれはモロコのライブ・ルームでしたね。彼は何かメロディのアイデアを持っていたんです。単にランダムなメロディで、新
しい曲を書くためにそこにいたわけではなかったんですが。
Barry Stone:
歌詞を覚えていますよ。「ストロベリー」についての歌詞でした。「Strawberry Blue」。
Julian Gingell:
そう、「Strawberry Blue」。モロコのライブ・ルームに大きなグランドピアノがあって、私がそこに座ると、彼がピアノのそばに
立って。あなたが隣で機材の調整かなにか技術的な作業をしている間に、私が何かコードを弾いて、彼が持ってきたメロ
ディを膨らませられないか試していたんです。結局、遊び半分でピアノの周りを追いかけ回されることになりましたけど(笑)。
Barry Stone:
遊び半分で、ですね(笑)。
Julian Gingell:
ええ(笑)。彼は本当に愉快な人でしたが、同時に、とてつもない威圧感(インティミデイティング・プレゼンス)もありました。
Barry Stone:
ええ、でも本当に素敵な人でした。
Julian Gingell:
あのセッションの時、みんなでタクシーに乗ってどこかへ移動したことがありましたよね。スタジオを出てタクシーに乗り込んだ
ら、運転手さんが「火(ライター)を貸してくれないか?」って聞いたんです。そしたらピートが即座に言いました。「俺がマッ
チ箱に見えるか?」って(笑)。
Barry Stone:
(笑)
Julian Gingell:
彼は、私が彼のことを畏敬の念を持って見ていて、少しビビっているのを察していたんだと思います。だから、わざと私をから
かって、場を和ませよう(ブレイク・ザ・アイス)としてくれていたんでしょうね。私が赤面したりするのを見て楽しんでいました。
Barry Stone:
「Even Better Than the Real Thing」のベース(土台)に関して覚えているのは、私たちが「ボート(スタジオ)」で作ったデ
モ「If Looks Could Kill」のことです。あのデモで使っていた音の多くを、このU2のカバーのために再利用したんですよね。
あの「Ray of Light」っぽいサウンド。当時はマドンナの『Ray of Light』が出たばかりだったので、あのギターやドラムのサウ
ンドを目指しました。
Julian Gingell:
私は「Pop Life」の方が印象に残っています。ピートが、あの中東風の要素を入れたいとか、サウンドについて非常に明確
なビジョンを持っていたからです。ああいう音をシンセで作るのはかなり難しいんですが、彼は「ゴングの音」とか「シタールの
16/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
音」とか、とにかく具体的でした。彼は頭の中に鳴っている音をどうしても再現したがっていたので、私たちはそれを形にす
るためにかなりの時間を費やしました。
Barry Stone:
ええ。「Real Thing」に関しては、彼がボーカルを何層も重ねたのを覚えています。メインのメロディに対して、すごく低いオ
クターブの声をたくさん重ねて。「You're the real thing..」って、すごく低く。彼はそういう歌い方を好んでいました。
Julian Gingell:
「Pop Life」でも同じことをやっていましたよね。そういえば「Pop Life」には、あなたの声も入っていませんでしたっけ? 彼が
あなたの声を入れたがっていた記憶があるんですが。
Barry Stone:
ええ、「Pop Life」と「Why Is It So Hard」の両方で歌いましたよ。
Julian Gingell:
チ。
「Pop Life」で彼が歌った「POP LIFE!」っていうボーカル、すごくボウイ(デヴィッド・ボウイ)っぽかったですよね。あのアプロー
Barry Stone:
ええ。第1バースで私と彼の声が掛け合うセクションがありました。「What's the matter with your world?」とか……歌詞
は忘れましたが。
Julian Gingell:
バックボーカルをやったんですよね?
Barry Stone:
そうです。彼が「セッションシンガーを呼ぶこともできるけど、バリー、君にやってほしいんだ」って指名してくれて。
Julian Gingell:
それは光栄でしたね。
Barry Stone:
本当に、信じられませんでした。それから「Why Is It So Hard」でも歌いました。
Julian Gingell:
「Why is it so hard?」のコーラス(サビ)の部分ですね。
Barry Stone:
そうです。本当に楽しかったですし、あの3曲を手がけたことは、私たちにとって大きな助けにもなりました。というのも、当
時私たちは新しいスタジオを借りるための手付金(デポジット)が必要だったんですが、まだスタジオを持っていない時期
だったんです。場所は見つかっていたけれど、手付金が払えない。そんな時にスティーヴとピートがあの仕事をくれたおかげ
で、その後の10年、15年と活動拠点にすることになるスタジオの契約ができたんです。
Julian Gingell:
ええ、本当に助かりました。楽しかったですしね。あの3曲はそれぞれ、マドンナ、U2、プリンスのトリビュート・アルバムに収
17/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
録されました。多くのアーティストが参加していましたが、私たちの作ったトラックも、それぞれのアルバムの中ですごくいい音
で鳴っていたと思います。
Barry Stone:
名曲を再解釈(リインタープリット)するのは常に楽しい作業ですが、ピートのような声の持ち主が歌うと、それだけで曲に
新しいフレーバー(風味)が加わりますよね。ピートが歌った瞬間に、それは全く別の場所へと連れて行ってくれる。
Julian Gingell:
まさにその通りです。
Barry Stone:
マドンナのカバーの時、ピートがどの曲をやるか選んでいたのを覚えています。
Julian Gingell:
どうしてあの曲(Why Is It So Hard)にしたんでしょうね。
Barry Stone:
理由は分かりませんが、マドンナには名曲が山ほどありますからね。彼はあえて「王道(オビアス)」ではない曲を選びたかっ
たのかもしれません。他の誰も選ばないような曲を。ちなみに私は、同じマドンナでも「Supernatural」を勧めたのを覚えて
います。「Cherish」のB面に入っている、すごくマニアックな曲です。彼はその曲も気に入ってくれましたが、最終的には
「Why Is It So Hard」に決まりました。
Julian Gingell:
当時モロコで働いていたバーニーというテープ・オップ(アシスタント)がいましたよね。彼はとても優秀で。彼が結局、バンド
の次のアルバム『Fragile』をプロデュースすることになったんですよね。
Barry Stone:
ええ。彼は作曲にも関わっていました。『Fragile』にある「Isn't It A Pity」という曲、あれは本当に素晴らしい。もともとはメ
ラニーというアーティストの曲がベースになっているようですが、ピートが歌詞を書き加えたようです。
あのセッションの後、モロコは私たちの「第2のホーム」のようになりました。プロ仕様のスタジオが必要な時は、いつもそこへ
行っていました。
Julian Gingell:
その頃、ピート・ホフマン(※ミキシング・エンジニア)にはもう会っていましたか?
Barry Stone:
いえ、まだです。のちに私たちのミックスを数多く手がけてくれるピート・ホフマンはモロコと深く関わっていましたが、当時はま
だ出会っていなかったと思います。あれは1999年頃のことですから。
でもあのカバー曲を制作した後、私たちはアダム・リケッツの「I Breathe Again」のボーカル録りのためにモロコに戻りました。
それから何年も後、Stepsのアルバム『What The Future Holds』の時も、デッド・オア・アライヴと同じ部屋を借りて、半年
くらい籠もって作業しました。モロコとは本当に長い付き合いがあり、素晴らしいスタジオです。
18/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 5
Barry Stone:
皆さん、こんにちは。エピソード5のボーナス・ビットへようこそ。皆さんお元気でしょうか。
先日行われたライブ配信に参加してくださった皆さん、ありがとうございました。素晴らしい質問をたくさんいただき、遥か昔
のことを思い出すために脳をフル回転させるのは良い刺激になりました。
エピソード5、そしてダイ(・ヴェダス)へのインタビューはいかがでしたか? ダイは本当に素晴らしい人ですよね。彼女とバン
ドは、まさに最高のチームでした。
このボーナス・ビットでも、ダイへのインタビューの続きをお届けします。ダイがマネジメント側のことについてもう少し詳しく語っ
てくれますので、皆さんも興味深く聴いていただけると思います。
それから今週、Facebookでルーク・ナトリーさんからメッセージをいただきました。ルーク、ありがとう! ルークは実は、このエ
ピソードでもお話ししたクレイグ・ハーディのマネジメントをしていたそうです。クレイグは、アルバムに収録された『Picture
This』のカバーでオリジナルのギターを弾いてくれた人物です。
その昔、ルークがかつての「ヒット・ファクトリー・フォーラム」のためにクレイグにインタビューしており、その中でクレイグがPWL
での日々やDead or Aliveとの仕事について語っていました。ルークがその内容を送ってくれたので、ここで皆さんに読み
上げたいと思います。ピートのことを実によく言い表している内容です。では、始めます。
「バリーと、すべてを監督し組織していたスティーヴ・コイと一緒に仕事ができて、本当に楽しい時間だった。ピート・バーン
ズは、夜遅くにならないと現れなかったよ。日が沈むのを待っていなければならなかったんだろうね(笑)。レス・シャルマと一
緒にバンカー(スタジオ)でミックスをしていた時以外は、すべてトライデント・ルームで行われた。
ある日のことはよく覚えている。ピート・バーンズがレザー・ジャケットを着て現れたんだが、それが今まで見た中で最高に
かっこいいジャケットだった。ジョージ・マイケルの『Faith』のジャケットをさらに数段レベルアップさせたような感じ。とにかく私
は『わあ、ピート、そのジャケット、信じられないほど素晴らしいね』といった感じのことを言ったんだ。
するとその約5分後、廊下でスティーヴ・コイに会ったんだが、彼がこう言った。『ピートはもう二度とあのジャケットを着ない
だろうね』。私が『どうして?』と聞くと、彼は『そういうものなんだよ。もし"普通の人"が自分の着ているものをクールだとか、
いいと思ったりしたら、それは自分がまだエッジ(最先端)に立ちきれていないという証拠だから、もっと努力しなきゃいけな
いってピートは思うんだ』と答えた。
実に彼らしいエピソードだ。彼らとの仕事は本当に楽しかったよ。彼らの作曲テクニックは、基本的には自分たちが大好き
な曲を完全にコピーして、その上に新しい歌を書き、一度新しい歌ができてしまえば、元のインスピレーション源となった曲
とは全く似ていないものになるまで、音楽をすべて作り変えてしまうというものだった。それは非常にうまく機能していたと思
うよ」
これが、ルークが送ってくれたクレイグの話の一部です。思わず笑ってしまいました。確かに、ピートが「クールじゃない」と
思っている誰かから、自分の着ているものを褒められたりしたら、それはピートにとって致命的な侮辱(ターン・オフ)になった
でしょうね(笑)。
ルーク、貴重な資料をありがとうございました。
19/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
それでは、ここからはダイとの対談の続きをお送りします。その後に、また次回お会いしましょう。楽しんで!
(転換)
Di Vidos:
私は彼と一緒に働くのが大好きでした。本当に、心から愛していました。私たちは本当に素晴らしい関係を築いていまし
た。それから何年も経ってから、実はクリス・モリソンがこう言ったんです。「君に(分け前の)半分をあげなかったことを、本
当に後悔しているよ……」って。
Barry Stone:
マネジメント料(手数料)の半分、ということですね。
Di Vidos:
ええ、まさに(笑)。だから私は言ったんです。「クリス、あなたは私の『お父さん』代わりだったのよ」。あの時の心理状態に
ついてもいろいろ話しました。当時はただ、あのダイナミックな関係性がうまく機能していた。本当にそうだったんです。
クリスは非常にお金にシビアで、非常にビジネスライク(事務的)でした。一方で私はもっと情緒的で、クリエイティブな面を
重視していました。だから、そのバランスの中で誰もが自分のニーズを満たすことができていたんです。リンも今でも言ってい
ますが、ピートにとっても、あれこそが最高のダイナミズム(相乗効果)だった、と。
不思議なのは、当時の私は音楽業界のことなんて何も知らなかったので、成功しないなんてこれっぽっちも思っていなかっ
たんです。
Barry Stone:
頭の中に「失敗」という選択肢がなかったんですね。
Di Vidos:
ええ、全く(笑)。
Barry Stone:
(笑)
Di Vidos:
でも、キャシー・デニスと仕事をしていた時もそうでした。同じように「いいえ、これはうまくいくわ。あなたは曲が書けるように
なる」と確信していました。それが起きないなんて、想像もしていませんでした。もちろん何年も経った今なら、「なんてこと
だ、あんなのうまくいかない可能性だってあったのに」と思えますが。というのも、『Spin Me』が成功するまでには、かなりの
時間がかかりましたからね。
Barry Stone:
ええ。
Di Vidos:
ん。
実際、あの時間が彼らに「スペース(余裕)」を与えてくれたんだと思います。それが一番良かった点だったのかもしれませ
20/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Barry Stone:
その点については以前も聞きましたが、あの曲が世に出てから、何ヶ月も、何ヶ月も経っていましたよね。その間、レコード
会社はパニックになっていたんですか? それとも、ヒットするとは期待していなかったんでしょうか? 毎週、順位が上がった
り下がったりしながら、かなり長い間くすぶっていましたよね。
Di Vidos:
正直に言って、マネジメントの立場から見れば、成功することは分かっていました。それ以外に道はありませんでしたから。
私は本当に、成功しないとは一度も思いませんでした。
クリスでさえ……ええ、クリスとは良い関係を築いていましたし、彼もよく言っていましたよ。「君は昔の私に似ている」って。
あの熱意や、理想主義的な……「世界はすべてうまく回るんだ」という広大なビジョン。
マーティン(・バーター)はもっと慎重な見方をしていましたけれど。でも私は、正直に言って一度も疑いませんでした。
Barry Stone:
あなたがそれを「実現(マニフェスト)」させたわけですね。
Di Vidos:
疑いようもなく、そうね。
21/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 6
Barry Stone:
皆さん、お帰りなさい。「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。皆さんお元気でしょうか。いよいよクリスマスの準備ですね。
私たちの「特大クリスマス・エピソード」と、サンタが連れてきてくれたサプライズ・ゲスト(ピーター・オクセンデイル)はいかがで
したか? 正直に言うと、私は『Blue Christmas』をかなり長い間聴いていませんでした。長年それほど好んで聴く曲では
なかったんですが、改めて聴いてみると、ピートの声が本当に豊かに響いていて、聴いていて本当に心地よかったです。
本編のエピソードでアートワークについて話し、スリーブのクレジットについても触れましたが、その中に一つ、皆さんに解説
しておきたいクレジットがありました。
スリーブに「サリー・"ザ・ターミネーター
"・アトキンズ(Sally 'The Terminator' Atkins)」という名前があるのに気づいた方も
いるでしょう。当時、PWLのスタジオ・マネージャーを務めていたのがサリーでした。1994年の終わり頃、PWL Limitedの
経営状況はあまり芳しくありませんでした。会社は多くの変革と、基本的には人員削減(リストラ)の最中にあったのです。
不運にも、スタジオのスタッフに解雇(リダンダンシー)を通告するという、誰もやりたがらない役割を担わされたのがサリーで
した。アルバムを完成させた直後、私もサリーに呼ばれ、解雇パッケージを提示されました。当時の私はすでにポップス
ターとしてやっていく準備ができていたので、私自身は全く問題ありませんでしたが。
この「ターミネーター」というクレジットは、ピートとスティーヴのちょっとしたジョークでした。サリーは、これまで出会った中で最
も「ターミネーター(冷酷な殺し屋)」とは程遠い性格の人でしたから(笑)。だからこそ、彼女がスタッフを一人ずつ「仕留め
ていく(クビにしていく)」様子が、彼らには滑稽に映ったのでしょうね。
さて、今回のエピソードでも、引き続きパット(・ギアリー)の素晴らしい話をお届けします。パットがDead or Aliveと一緒に
過ごした時間は本当に濃密なものでした。
パットは、スコットランドにおけるスティーヴの「現地担当者(マン・オン・ザ・グラウンド)」のような存在でした。スティーヴはよ
くパットに電話をして、レコードショップを経営しているパットから、レコードの売れ行きについて生の声を聞いていました。
パットの話の続きをお楽しみください。まずは、トータル・ストレンジャー(Total Stranger)のビデオについての彼の考えから。
それでは、今回はこの辺で。素晴らしいクリスマスを皆さん! また次回お会いしましょう。バイバイ!
(転換)
Pat Geary:
あのビデオを見ると、ピートが椅子に座って歌っているだけなんですが、それでも彼は、表情と手のジェスチャーだけであの
歌の歌詞を見事に劇的に表現(ドラマタイズ)しています。本当に驚異的です。
彼は生まれる時代を間違えたんじゃないかと思うことがあります。サイレント映画のスターになるべき人でした。感情を投
影するのが、本当に、驚くほど上手でしたから。
あのビデオの雰囲気は、後に制作された「Your Sweetness is Your Weakness」のビデオにも通じるものがありますよね。
フェリーニ風のモノクロの映像で。あの時も彼の表情は、本当に豊かな感情を表現していました。
22/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
彼が「スワッガー(自信満々)」なロックスターを演じている時は、そういった繊細な部分は影を潜めてしまいますが、あの
「トーチ・ソング(失恋歌)」としての彼の側面、それを彼はあの「トータル・ストレンジャー」のビデオの中で見せつけていまし
た。彼は本当に素晴らしかったです。
シネイド・オコナーの「Nothing Compares 2 U」を彷彿とさせますが、あれはピートそのものでした。彼は印象を残すために、
わざわざ泣いて見せる必要なんてありませんでした。それ以上のものを表現する能力がありましたから。
Barry Stone:
ええ、そうですね。
Pat Geary:
スティーヴも、あのビデオの監督として素晴らしい仕事をしました。
(転換)
Pat Geary:
スティーヴは本当に一生懸命働いていました(ハスリング)。彼がこれほど多くのことを実現させていなければ、決して(成
功は)起き得なかったでしょう。
Barry Stone:
ええ、本当に。
Pat Geary:
大変だったのは、あの「ウィンドウ(期間)」があったことですよね。その期間内にリリースされなければならない、という。
クレオパトラ・レコードのブライアン(・ペレーラ)が、アメリカでリリースされたのは98年頃だったと言っていました。世界中の
他の地域から数年遅れてのリリースでした。商品(レコード)を売り続けるには、ある程度の鮮度が必要ですから、あまりに
時間が経ってしまうとタイミングを逃してしまいます。それは大きなフラストレーション(もどかしさ)だったでしょうね。プロモー
ションのために人々を動かそうとしても、なかなか一筋縄ではいかない。
Barry Stone:
ええ。
Pat Geary:
アルバム『Fragile』に関しても、古い素材が再登場しているのに気づくでしょう。おそらく……
。
Barry Stone:
ええ。
Pat Geary:
ピートに新しい素材をもっと書かせるだけの余裕(プッシュ)がなかったんでしょうね。それは本当に、残念なことでした。でも、
誰が彼を動かせたというのでしょうか(笑)。
Barry Stone:
(笑)
23/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
(転換)
Pat Geary:
ませんが。
ピートが残した数少ない楽曲の数々は、まるで「希少な宝石(レア・ジェム)」のようです。何百万曲もあったわけではあり
でも、彼が一度本気を出せば、私たちが話してきた「I'm a Star」のような曲が生まれる。あれこそが彼の「マニフェスト(宣
言)」でした。あの曲の中で、彼は自分自身への洞察と自己認識を実に見事に示していました。
マイクの内側に「ダイアモンドが散りばめられた心(diamond-studded heart)」がある、という歌詞。「黄金の心」では不十
分なんです。ピートにとっては「ダイアモンドが散りばめられた心」でなければならなかった。まさに本物のスターでしたね。
Barry Stone:
(笑)まさに!
Pat Geary:
彼らは本当に寛大でした。ピートがこちら(スコットランド)に来た時、私のレコードショップから二軒隣に健康食品の店が
あったんですが、ピートは健康食品にすごく凝っていたんです。
彼は店に入って、いろいろなものを買い込みました。すると突然、私を振り返って言ったんです。「これは君にあげるよ」って。
私をもっと健康にするためのものを、私にくれたんです。
Barry Stone:
(笑)
Pat Geary:
彼らは二人とも、そういうところがありました。とてつもなく、寛大でした。
Barry Stone:
ええ、それは何度も耳にするエピソードですね。
(転換)
Pat Geary:
かつて、彼らがラスベガスのルクソール(ホテル)でショーをする予定だったことがありました。……国際危機(International
Crisis)として会う前のことでしたが。私たちはDead or Aliveを見るために世界中から集まった大勢の人たちと一緒にベ
ガスへ行きました。ところが結局、彼らはライブをしませんでした。最後の最後で何かが起きて、彼らはそこに現れなかった
んです。
ショーがキャンセル(ブロー・アウト)になった時の面白い話があります。ピートがソロで活動していた頃、ソーホーの「マダム・
ジョジョズ(Madame Jojo's)」でギグをすることになりました。
私たちは実際にそれを手伝っていて、ライブを撮影するスタッフも手配していました。ライブ当日の夜、私はピートの家へ
行きました。
24/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
私は「ピート、もうすぐショーが始まる時間だよ」と言いました。すると彼は「ああ、パット……客を少し待たせておくくらいが
ちょうどいいんだよ」なんて言うんです(笑)。「だからまだ行く必要はない」と。
私たちは待って、さらに待ちました。ちなみに、彼はその時キッチンのシンクで、自分の髪を「インク」で染めていたと言ってい
ました。インクですよ! そんなの初めて聞きました。
ようやく彼を家から連れ出した時には、もうかなりの時間になっていました。「もう行かなきゃ、ショーの開始時間を過ぎてる
よ」と言うと、彼は「いや、ダメだ……何か食べるものを買いに行きたい」と言うんです。
それで私たちはスーパーマーケットへ行って、彼は車の中で食べるためのペストリー(菓子パン)を買い込みました。ようやく
会場に着いた時には、もう真夜中でした。
マダム・ジョジョズは真っ暗で、建物の外にスージー・スー(Siouxsie Sioux)が立って誰かと話していました。
ピートが彼女に近づいて聞きました。「スージー、どうしたんだい?」
彼女は答えました。「ああ、ピート。彼らは君を待って、待って、待ち続けたけれど、君が全く現れないから、もうみんな帰っ
たわよ」。
結局、ショーは行われませんでした。ピートはただこう言いました。「ああ、まあいいさ。プリンスだって何度かショーをキャンセ
ルしてるし、問題ないよ」って。
Barry Stone:
(笑)
Pat Geary:
『Nukleopatra』を聴けば分かりますが、多くの曲のタイトルがプリンスのようなスタイルになっていますよね。「you」という単
語の代わりに「U」という文字を使ったり、「to」の代わりに数字の「2」を使ったり。
Barry Stone:
ええ。
Pat Geary:
ピートの頭の中には常にプリンスがいたんでしょう。ある種の執着を持っていました。
Barry Stone:
う機会があったそうです。
ええ、彼はプリンスのファンでしたね。彼から聞いた話ですが、あるアフターショー・パーティーか何かで、ピートがプリンスに会
二人は話をしていた……というか、紹介されただけかもしれませんが。とにかく、プリンスが最初にピートに言った言葉が
「君はタバコを吸いすぎだ(You smoke too much)」だったそうです。
するとピートは即座に言い返しました。「あんたは喋りすぎだ(You talk too much)」って。そしてそのまま立ち去ったそうで
す(笑)。
25/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Pat Geary:
(笑)その話は初めて聞きました! 最高ですね。
26/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 7
Barry Stone:
「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。今日のメインエピソード、そして「Sex Drive」に関するすべての新情報を楽しんでいた
だけたでしょうか。ダヴィデと一緒にストングルーム・スタジオでボーカルを録音していた頃のピートの話を聞くのは最高でし
た。ストングルームは、実は私のかつてのメンターであるイアン・カーノウとフィル・ハーディングが、PWLを去った後に移った
場所なんです。フィルとイアンは長年そこを拠点にしていました。ジュリアンと私も時々そこを使っていました。レイチェル・ス
ティーヴンスとのシングル「I Said Never Again」のボーカル録音もストングルームでやりました。一時期はそこに自分たち専
用の部屋を持とうかと考えたこともありました。ダヴィデが教えてくれた詳細なエピソードを聞けて良かったです。
さて、エピソード5での私の質問に関しても、この1週間ほどでたくさんのコメントをいただきました。宇宙が共謀して、私を
ピートとスティーヴと一緒にアルバムを作る場所に導いてくれたことを表す「ある言葉」を探していた件です。1つどころか、3
つの言葉を提案していただきました。「運命(Fate)」、「セレンディピティ(Serendipity)」、そして「シンクロニシティ
(Synchronicity)」。どれも素敵ですが、送ってくださった皆さんに感謝します。私は「シンクロニシティ」を選ぼうと思います。
それが気に入りました。
さて、このエピソードでも再びパット・ギアリーが登場し、「Sex Drive」の歌詞のインスピレーションについて少し話してくれま
す。とても興味深い内容でした。前回も言いましたが、パットと私がおしゃべりした時、デッド・オア・アライヴに関するあらゆ
ることについて話しました。エピソード6にはとても収まりきらなかったので、その続きを少しここでお聴かせします。リンがピー
トのためにどれほどのことをしたか、そしてピートが自分のそばにリンがいてくれることをどれほど常に感謝していたか、パット
が語ってくれます。また、ピートが自分のレコードを全く所有していなかったという話も。それでは、パットの話を聴きながらお
別れしましょう。また次回お会いしましょう。
(転換)
Pat Geary:
私はリンとは最低限の接触しかありませんでしたが、彼女は間違いなくピートの守護天使のような存在でした。ピートが
様々な人といろいろなことで議論したり揉めたりしても、彼女は揺るぎないサポートを提供していました。彼は常に、彼女
が自分のためにしてくれたことに感謝し、認め、それを言葉にしていました。彼女に出会えたこと、そしてあのような気まぐれ
なアーティストを辛抱強く支えてくれる無私無欲な人がいてくれたことは、彼にとって本当に幸運なことでした。
Barry Stone:
ええ、まさにその通りですね。
Pat Geary:
ええ、彼女は……彼女は素晴らしかったです。ファンが知りたいかどうか分かりませんが、彼は自分の作品をコレクションし
ていませんでした。つまり、自分のデッド・オア・アライヴの作品を何一つ持っていなかったんです。彼の家に行っても、何も
コピーが置いてありませんでした。それどころか、認識すらしていなかったんです。12インチ(レコード)を見せても、「こんなの
見たことないよ」なんて言ったりして。だから彼は、自分のキャリアの細かなディテールに執着するような人ではありませんで
した。
Barry Stone:
いいえ。でもスティーヴはそうでしたよね。
Pat Geary:
ええ、ええ。でもピートはただ、冒険と興奮、そして経験を求めていただけでしたから。それ以外のことは、それに付随する
単なる「荷物」に過ぎなかったんでしょうね。
Barry Stone:
ええ。彼はいつも、自分にファンがいることや、アメリカの誰かが自分のことを知っているかもしれないということに、驚いたふ
りをしていました。「なんてことだ、どうして僕を知ってるんだい? レコード会社はあんなにひどい仕事をしたっていうのに」な
んて。いつもそういうメンタリティでしたよね。
Pat Geary:
27/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
彼は実はとても謙虚でした。グラスゴーの「My Place」でインストア・イベントをやることになった時、会場へ向かう途中で彼
はこう言ったんです。「もし誰も来なかったらどうしよう?」って。その時彼は、熱狂的なファンで超満員になったクラブ・ギグ
を終えたばかりだったのに、それでも「誰も来なかったらどうしよう」と心配していたんです。そして彼は言いました。「人々に
何て言えばいいか分からないんだ。僕はいつも間違ったことを言ってしまうから」。
そして店に着いて、インストアの最中のことですが、ある人がとても熱心なファンで、かなり過剰な言葉を並べていたのを覚
えています。するとピートは、スージー・アンド・ザ・バンシーズのアルバムをひっ掴んで、それに自分の名前をサインして言っ
たんです。「僕のじゃなくて、こっちを買うべきだよ。彼女は本当に素晴らしいから」。ちなみに、彼はスージーのことが本当
に大好きでした。
Barry Stone:
ええ。
Pat Geary:
私は今でも、そのアルバムを上の階のどこかに持っていますよ。
Barry Stone:
本当ですか?
Pat Geary:
ええ、表に「ピート・バーンズ」と殴り書きしてあります(笑)。
Barry Stone:
わあ。その人はピートのアドバイスを聞かずに、それを買わなかったんですか?
Pat Geary:
いいえ、いいえ。その男は買いませんでした(笑)。
28/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 8
Barry Stone:
皆さん、こんにちは。「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。「クレオパトラ・オン・ザ・ロード(ツアー編)」のエピソードを聴いて、
お疲れではありませんか?
リンがツアー中の冒険について話し始めた時、私は絶句してしまいました。特に「ドンキー・バー」の話を聞く前ですらそうで
した。実はリンと話した後にディーンとも話をして、ドンキー・バーの話について彼なりの見解を聞きたかったのですが、彼は
全く別の「メキシコの刑務所」の話をしてくれたんです。それを聞いた後、私は「それは予想していなかった話だ」と思いまし
た。
ところで、メキシコの刑務所の話ですが、あの三脚に立てられたカメラの映像は一体どこにあるんでしょうね? もしあのメキ
シコの独房の警備員がこの「Nukleopatra's Tomb」を聴いていたら、ぜひ連絡をください。あの映像をどうしても見たいん
です。ボディストッキング姿で警官にタバコをねだるピートと、一連の騒動の間ずっと3つのウィッグを被り続けたディーンの
姿を。
ディーンはまた、私がもう一つの重要なギグについて言及し忘れていると教えてくれました。それはビクトリア・パークと同じ
夏に行われた、マンチェスター・プライドでのパフォーマンスです。その映像もオンラインで見ることができますが、ピートはあの
日、かなり口が悪かった(笑)。ディーンが言うには、ハシエンダ(マンチェスターの有名なクラブ)でハンドバッグの中身を検
査されて、セキュリティ・チームにかなり腹を立てていたようです。だから観客にもそのことをぶちまけていました。まだ見てい
ない方は、ぜひYouTubeでチェックしてみてください。
さて、今日は3人のスター・ゲストから、さらにお話を聞いています。ジェイ(・ジョン)はニューヨークでのRuPaulのVH1
ショーに出演した日のことを。ディーンもニューヨーク・シティへの愛について少し語ってくれます。そして最後はリンからのメッ
セージで締めくくります。素晴らしいバーンズ夫人のお話をここで聴けるのも、これが最後になります。リンは本当に最高で
した。最初は「何も思い出せないわ」と言っていた彼女が、これほど多くの素晴らしいストーリーを語ってくれるとは、最初か
ら分かってはいましたが、やはり流石です。
メインエピソードでも言ったように、彼女がこの企画に賛成してくれたことを本当に嬉しく思います。さて、最後のおしゃべり
の中で、リンはピートがパフォーマーとしての自信を得るために大きな役割を果たした「ある人物」を忘れてはならないと思
い出させてくれました。それはピートが『Nukleopatra』時代に、あのようなロックスタースタイルを確立するきっかけになったか
もしれない人物、ジーナ・ヴァーラ・ヴェトロ(Gina Varla Vetro)です。
ジーナのことを聞いたことがない方もいるかもしれませんが、彼女は『Fan the Flame』のいくつかのパフォーマンスでピートと
一緒にステージに立っていました。1992年7月のキンキー・ゲリンキーの「Groovy Garden Party」のショーにも出演してい
ました。リンは、彼女がもっと後の時期にもピートと一緒にステージにいたと記憶しており、彼女の言う通りかもしれません
が、とにかくリンがジーナについて少し話してくれます。
そして最後に、リンは『Nukleopatra』時代に出会った、あるアメリカのツアープロモーターのガールフレンドにまつわるもう一
つのエピソードを共有してくれます。メインエピソードでも言ったように、彼らはツアーに出るたびに、未知の世界へと足を踏
み入れていました。この話を聞けば、リンがなぜ「生きて帰ってこれてラッキーだった」と言ったのか、よく分かるはずです。
皆さん、どうかお元気で。次回、お別れのエピソードに向けて、精神的にも感情的にも準備を整えておいてください。私も
皆さんに会えなくなるのが寂しいですが、最終回は新しい音楽とともに締めくくる、最高のエピソードになるはずです。皆さ
んに楽しんでいただけることを願っています。最終回では、新曲をたっぷりとお聴かせします。
29/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
それでは、ひとまずお別れです。ゲストたちのさらなるおしゃべりをお楽しみください。また次回! さようなら。
(転換)
Barry Stone:
VH1のRuPaulの番組に出演した時のことですが、RuPaulがピートの熱狂的なファンであることは明らかでしたし、ピート
も同様にRuPaulを尊敬していましたよね。あの日のことで何か覚えていることはありますか?
Jey Jon:
ええ、アッシャーと一緒にギグをした時ですね。当時は彼が誰なのか知りませんでしたが(笑)。私は「この子、すごくダンス
が上手いな」なんて思っていました。するとピートが真顔で私を見て言ったんです。「アッシャーだからだよ」。
Barry Stone:
(笑)
Jey Jon:
それでようやく、彼が何者なのか分かりました。彼は本当に素晴らしかったです。
Jey Jon:
ル・ヴィサージュもね。
Ru(RuPaul)はピートのことを心から慕っていました。正直に言って、Ruは私たち全員に対してとても親切でした。ミシェ
Barry Stone:
ニューヨークの話が出ましたが、ジェイ、そして皆さんも、ニューヨークが一番のお気に入りの場所だと言っていましたね。いろ
いろなことが起きていたから。
Jey Jon:
私は90年代初頭にニューヨークに住んでいたので、たくさんの友人がいたんです。だから戻れるのが楽しみでした。ニュー
ヨークは本当に、何というか、すべてを受け入れてくれるフレンドリーな場所なんです。ナイトクラブやサブカルチャー(サブ
ヴァーシヴ)なものが好きなら。
私は当時、クラブやイベントを運営していた「Jackie 60」の人たちのために働いていました。だから最高でしたよ。
Lynne Burns:
それから、ジーナのことを忘れちゃいけないわね。ジーナ・ヴァーラ・ヴェトロ。彼女もピートのステージに華を添えるために参
加してくれた一人でした。
Barry Stone:
ジーナは『Nukleopatra』のギグにも参加していたんですか? それともその前?
Lynne Burns:
彼女は90年代、もっと後だったと思うわ。一緒にアメリカを回ったし、キンキー・ゲリンキーの時も一緒だった。
Barry Stone:
それはどちらかというと『Fan the Flame』の時代だった気がしますが……
。
30/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Lynne Burns:
そうだったかしら。スティーヴ、ジーナには苦労させられていたわよね?(笑)
Jey Jon:
いえ、ピートがスティーヴを困らせていたんですよ(笑)。誰のせいにもできません。
Lynne Burns:
でもジーナは、いろいろな意味でピートの自信を深めるのに一役買ってくれました。ある意味、パフォーマーとしてどうあるべ
きかを彼女が彼に教えたようなところもありました。彼女はピートに、それまで持っていなかった自信を与えてくれたんです。
Barry Stone:
へえ、それは興味深いですね。
Lynne Burns:
本当に、彼女は不可欠な存在でした。
Lynne Burns:
それから、あるプロモーターの話があるんだけど。彼のガールフレンドがストリッパーで、彼女が私たちを車で案内してくれて
いたの。
あるオフの日に、彼らの家に泊まりに行ったんだけど。そこには、ヘビや猫や、ありとあらゆる動物が飼われていて、まるで動
物園(メナジェリー)のようでした。
とにかく、話が長くなるから端折るけれど、私たちがイギリスに帰った後、彼女がショットガンで彼の頭をぶち抜いて殺してし
まったんです。
Jey Jon:
すごく上手で……
。
私がバリー(・ストーン)と話した時にも言ったんですが、私たちは彼女のことが本当に大好きだったんです。彼女はメイクが
Lynne Burns:
走っている車の中でも、完璧にメイクをこなすような人だったわ。
Jey Jon:
本当に。見た目はまるで「バターも溶けない」ような、おしとやかな感じだったのに。
Lynne Burns:
シシー・スペイセク(※映画『キャリー』の主演女優)みたいな感じね。繊細な、イチゴ色のブロンドで。
Barry Stone:
なんてことだ。
Lynne Burns:
彼女がショットガンで彼の頭を……
。
31/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Barry Stone:
その後、彼女と話したりしましたか?
Lynne Burns:
いいえ、いいえ。彼女はどこかでオレンジ色の囚人服を着ることになったでしょうから。
Barry Stone:
「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」ですね。
Lynne Burns:
ええ。私たちは彼らの家にも行ったし、彼女は自分のストリッパーの衣装を全部見せてくれたりしたのに。
後になってから気づく、恐ろしい出来事の一つです。本当に、私たちは生きて帰ってこれてラッキーだったわ。
32/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
NUKLEOPATRAS TOMB Episode 9
Barry Stone:
皆さん、お帰りなさい。「Nukleopatra's Tomb」へようこそ。
すみません、ポッドキャストを一度も風邪を引かずに完走できると思っていたのですが、メインエピソードは大丈夫だったも
のの、今日は鼻声になってしまいました。お聞き苦しくてすみません。
前回の最終回エピソードはいかがでしたか? ジュリアン、ハンナと一緒に新曲について語るのは本当に楽しかったですし、
皆さんにその制作過程を共有することで、プロジェクトの一部であると感じていただけたらと思っていました。これまでに聴い
ていただいた内容を気に入っていただけたなら幸いです。
アルバム(Belvedere Kane『Such Trying Times』)は2月13日に発売されますが、今まさにこのウェブサイトで予約注
文が可能です。
さて、このエピソードでお届けする最後のボーナスインタビューは、ジュリアンとの対談の続きです。私たちがデッド・オア・アラ
イヴ、そしてストック・エイトキン・ウォーターマン(SAW)のレコードを初めて発見した初期の頃がいかにエキサイティングだっ
たかについて語り合っています。
最終回のリール動画を作る際、ジュリアンとハンナが言及していたあの「トップ・オブ・ザ・ポップス」のパフォーマンス映像を
私も見直しました。もちろん過去に何度も見てきましたが、久しぶりに見ると、画面から溢れ出すピートのエネルギーに圧
倒されます。ステージで心から楽しんでいる様子、そしてあのエフォートレス(軽やか)なパフォーマンス。実のところ、彼があ
れほど見事なパフォーマンスを披露したことは、後にも先にも二度となかったのではないかと思うほどです。
あの週にあの番組に出演できたことは、数ヶ月もの待機と希望を経て、レコードが正しい方向に向かっていると分かった
瞬間でもあり、本当にエキサイティングだったに違いありません。そしてあの出演が、ヒットを決定づける最後の一押しに
なったことは間違いありません。
ジュリアンとのこの追加のおしゃべりでは、「リバース・ストリップティーズ(逆ストリップティーズ)」な12インチミックスという、今
は失われた芸術についても議論しています。ヒット・ファクトリー(PWL)から生まれた延長バージョン(ロングバージョン)の多
くには、曲の要素を一音ずつ、少しずつ明らかにしていくという素晴らしい伝統がありました。
私たちが一緒にレコードを作る時以外、この種の延長バージョンはもう存在しないという話をしています。そして私たちは
実際に、新曲「Legends Forever Young」で、リバース・ストリップティーズのイントロを備えた、古き良き伝統的な延長
バージョンを制作しました。「ナイト・クリーチャーズ・ミックス(The Night Creatures Mix)」という名前で、ベルヴェデーレ・ケ
インのアルバムのCDフォーマットに含まれています。ぜひチェックしてみてください。
それでは、ジュリアンとの対談を聴きながら、私からはこれでお別れの挨拶とさせていただきます。最後までお付き合いいた
だき、本当にありがとうございました。このポッドキャストを制作するのは、まさにクレイジーな旅のようでしたが、やって本当
に良かったですし、皆さんと繋がることができて最高でした。
メインエピソードでも言ったように、ポッドキャストは公開され続けますので、もし周りにまだ聴いていないデッド・オア・アライ
ヴ・ファンがいたら、ぜひ勧めてあげてください。そしてオンラインでのシェアやコメントも引き続きお願いします。
日曜日のポッドキャストを楽しみにしていた皆さんの心に、ぽっかりと穴が開いてしまうかもしれませんね(笑)。もし新しい
番組を探しているなら、まだ聴いていない方は、私の友人であるマシュー・デンビーとギャビン・スコットによる「A Journey
33/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Through Stock Aitken Waterman」をぜひ聴いてみてください。本当に素晴らしい内容で、丁寧に作られており、自信を
持ってお勧めできます。
それでは、ジュリアンとの対談をお楽しみください。皆さん、どうかお元気で。改めて、最後までありがとうございました。さよ
うなら!
(転換)
Barry Stone:
初期の頃、デッド・オア・アライヴとストック・エイトキン・ウォーターマンを関連付けて考えていましたか?
Julian Gingell:
そうだったと思います。プリンセスの作品が出ていた頃でもありましたからね。メル&キムの前、プリンセスやザ・スリー・ディグ
リーズ、そしてデッド・オア・アライヴ……
。
それから、ジャケットの裏に「カレック(Calrec)」の宣伝文句があったでしょう。「PWLスタジオでカレック・マイクを使って録
音」という、彼らが出していたあの一種のデザイン化されたブランディング。あれを見て、点と点が繋がったんです。
「ああ、プリンセスがいたこのスタジオで、デッド・オア・アライヴも作られたんだな」と気づくわけです。でも、何よりもあのレコー
ドの「サウンド」そのものが理由でしたよね。非常にユニークで、一聴してすぐに分かる。
たとえプリンセスとデッド・オア・アライヴで全く異なるトラックだとしても、それらを一つに結びつける「何か」がある。味というか、
質感というか……
。
Barry Stone:
クオリティ、ですね。
Julian Gingell:
ええ。私にとってそれらは非常に「エレクトロニック」に聞こえました。私はニュー・ロマンティックの時代、デュラン・デュランより
もヒューマン・リーグのファンだったんです。あのシンセやドラムの「合成された感じ(シンセティックネス)」に惹かれていた。そ
れが、私をそれらのレコードに引き込んだ理由です。
だから私にとってデッド・オア・アライヴやプリンセスは、数年前のデペッシュ・モードやヒューマン・リーグといった流れの延長線
上に自然にあるものでした。そしてそこに現れたのが、あのストック・エイトキン・ウォーターマンのエレクトロニック・プロダクショ
ン。ただ、以前のものよりさらに増幅(アンプリファイド)されたような感じでした。
Barry Stone:
アルバムが出た後、シングルのミックスはまた違っていましたよね。新しいミックスがどうなるのか、期待して待っていたりしま
したか?
Julian Gingell:
ええ。特に「Spin Me」は、別バージョンの12インチが存在した、私が記憶している最初のレコードだったと思います。
それもまた、異なるバージョンやリミックスをコレクションするという楽しみを与えてくれました。それ以前は、異なるカバーで、
異なるミックスのセットが入った別バージョンの12インチなんて、記憶にありませんでした。
34/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
その後、プリンセスは「Say I'm Your Number One」で、驚くほどたくさんのバージョンを出しましたよね。
Barry Stone:
新しい試みでしたね。
Julian Gingell:
ええ。私にとっては、それが初めて目にした光景でした。ウールワースの店頭で。
Barry Stone:
新しい音楽を発見するワクワク感、そしてこれらの「2枚目の12インチ」が出ることで、より多くのパート、それまではミックス
の中に埋もれていたかもしれない音を聴くことができる。それが12インチの醍醐味でしたよね。
Julian Gingell:
そうですね。それからPWLの12インチは、イントロやアウトロがまるで「ストリップティーズ」のようだった。一つの要素を足し、
また一つ足し……と、レコードが構築されていく様子を耳にすることができた。
突然、あの最初のイントロのパートに辿り着いて、すべてが一体となる。それまでのプロセスを聴くことができるんです。
Barry Stone:
「ストリップティーズ」という表現、いいですね(笑)。
Julian Gingell:
「逆ストリップティーズ(Reverse striptease)」ですね(笑)。
Barry Stone:
ええ。でも、あのような非常に特定のフォーマットがあったからこそ、12インチは成り立っていた。イントロのセクションで、要
素の上に要素が重なっていく。それは今でも(私たちの作品でも)通じるものがありますよね。
Julian Gingell:
今の時代は、残念ながらあまり見かけませんが……
。
Barry Stone:
ええ、それが悲しいところです。「延長バージョン」というものが、もはや存在しないに等しいですから。
Julian Gingell:
私たちがレコードを作る時以外はね(笑)。
Barry Stone:
(笑)
Julian Gingell:
そういった様々な12インチがあったからこそ、これらのレコードが、特定の場所で、特定のプロデューサーの手によって、特
定のマイクロフォンを使って作られているという「特別な感覚」があった。
ある種の「ギャング」が作っているような(笑)、そんな独自の世界観を作り上げていたんだと思います。
35/37Nukleopatra - Making a Dead Or Alive Album with Barry Stone
Barry Stone:
先ほどあなたが言った「ブランディング」……あの小さなダイヤモンドのロゴ。
Julian Gingell:
ええ。
Barry Stone:
した。
あれはまさに、「ああ、これはあそこの作品だ」と認識させる象徴でしたね。レコードショップで見つけると、それだけでワクワク
Julian Gingell:
私の場合、先にレコードを聴いて、「うわあ、これ何だ?」と驚いてから、後で「ああ、やっぱり彼らの作品か」と納得するパ
ターンが多かったです。ウールワースで12インチの裏を覗き込んだりする前にね。
でも、常に彼らが発表するレコードは、「何だこれは!」「えっ、また彼らか!」という驚きに満ちていました。
デッド・オア・アライヴのアルバム(『Nukleopatra』)の頃には、私はもう完全に彼らの虜になっていました。ストック・エイトキ
ン・ウォーターマンが次に何を仕掛けてくるのか、常に目を光らせていましたよ。私にとって彼らは、すでに「これこそが私が
求めている音楽だ」という地位を確立していましたから。
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出典
NUKLEOPATRAS TOMB(ボーナスエピソード)
関連リンク
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